宍戸亮中学3年生。氷帝学園男子テニス部所属。正レギュラー。
…人間歴14年目、初めて告白された。
チームメイトの、男子から。


『思考の不一致×2』


中等部の3年廊下は、朝からピリピリした空気に包まれていた。
殺気の元は、宍戸亮。ばっさりと切られた髪が一瞬誰かと思うほどイメージを変えている。
もともと恐がられるタイプだったが、今日は相当機嫌が悪いらしく、朝一番に
「っはよー宍戸。何だ、髪切ったのか!?随分思いっきりバッサリいったな!何だァ失恋かァ?」
などとからかって来た友人を眼力だけで黙らせてしまったほどだ。

その日の授業は、宍戸にとって全く無いも同然のものになっていた。
朝から変わらず鋭い眼光を放って黒板を見つめてはいるが、板書の内容も教師の説明も全く頭に入っていない。
ぐるぐるとその思考を占領し続けているのは、昨日の言葉。

あいつの、言葉。

『宍戸、俺、お前が好きや』

『中学ずーーーっと…』

学校では一人しか使う事の無い、関西弁。
その独特のイントネーションが、言葉を耳に縛り付けている。
忍足が自分を好きだと見ていたなんて、宍戸には信じられない話だった。
だって、チームメイトで、同じ男子生徒で。
女子の人気だって、跡部と張る勢いの奴なのだ。
それだけでも信じられないのに、今朝の朝錬で顔を合わせたあいつは、思わず一日中殺気を放ってしまうほど普段通りの態度で。
「…本気、とか言いやがったくせに…」
地を這うような呟きは、ちょうど鳴った終業チャイムに掻き消されていった。
「………」
このチャイムが鳴れば、あとは部活が始まる。
宍戸は、腹を括った。元来うだうだ悩んでいられる気質ではない。
(もし午後の部活でも何も言って来なかったら…)
ぐっと拳を握り締める。通学鞄代わりになっているテニスバッグを担いで、足音も荒々しく教室を出た。

何も言って来なかったら、告白も無い事にして今まで通り友達でいれば良い。

と言う選択肢を見落としている事に、宍戸は気付いていなかった。


「宍戸ー、宍戸ー!!」
「…し、宍戸さんっあの、ダブルスのミーティングです」
「……あぁワリ。ちょっとぼーっとしてた」
レギュラー復帰で勝ち取った椅子は、ダブルスだ。特訓に付き合ってくれた長太郎とのコンビだから、やりにくい事は無い。むしろ、宍戸が引っ掛かりを感じているのは、もうひとつのダブルスコンビに忍足がいるということだった。必然的に4人で練習する時間が増える。忍足と顔を合わせる時間も増えるし、長太郎と一緒の時間も増える。それなのに、おそらく快くは思っていない長太郎に対しても、自分に対しても、忍足の態度は全く変わらない。昨日の告白前と同じどころか、宍戸がレギュラー落ちしている間とも落ちる前とも同じだ。今も岳人と長太郎と、淡々とミーティングを続けている。

自分は丸一日頭を占拠されているのに、当の忍足は平然と部活をしている。

その事実に、宍戸の不機嫌は
"午後の部活でも何も言って来なかったらとりあえず殴る"
と云うリミットを越えた。
「おい、忍足、ちょっとツラ貸せ」
バッと勢いよく立ち上がると、
「え、なん、何や」
「おい宍戸!?どうしたんだよ」
「ちょっ、宍戸さん!?まだ話…」
「うるせえ!!」
男テニ200人を黙らせる気迫で怒号を放ち、昨日とは逆に忍足の襟首を掴んでコートを出て行く。
後には呆気に取られる197人の部員と、
「…宍戸…勝手な行動しやがって…後で覚えてやがれ…」
とラケットを握りつぶしかねない氷のエンペラーが1人、取り残された。


「ちょ、なぁ宍戸っ、どこまで行くん?」
二人はテニスコートを離れ、部室棟を通り過ぎ、校舎の端まで来ていた。どこの部も活動中であるこの時間は、校舎には人の気配は少なくしんと静まり返っている。
「なぁ、どないかしたん?宍戸」
「どうもこうも、てめぇどういうつもりだよ!?」
唐突に振り向いた宍戸は、完璧にキレていた。しかしその鋭い視線を、忍足は難なくいなして
「どういうつもりて、何。俺何もしてへんやろ?」
「それが!どういうつもりだって言ってんだ!」
「しー…宍戸、あんま怒鳴るとどっかに先生いてたらヤバイで」
怒りに任せて声を張り上げる宍戸の口を、手で覆った。
その行動にびっくりした宍戸が目を丸くする。それを見て、忍足はまた、昨日の苦笑を浮かべる。
「…堪忍な」
心持眉尻を下げて、眼を細める仕草。部活中からも授業中からも遊んでいるときからも考えられない声音。
…昨日の帰りに見るまでは、聞くまでは、知らなかった忍足の一面。
宍戸は、自分の体から怒りが抜けていくのを感じた。
忍足がゆっくりと手を退けても、今度は怒鳴り声は聞こえなかった。
「お前に、触れるつもりはなかってん…」
「…何でだよ」
「何でて、なぁ…」
「歯切れ悪ィな」
「そやかて、俺かてキツイんやで、今まで通りっちゅーんはえらい努力と忍耐がやな」
「それがいいのかよ」
「え?」
宍戸から眼を逸らしていた忍足は、怒鳴るのとは違う不穏さを感じて、視線を戻す。
その先には、静かに怒りを湛えた宍戸の眼があった。
「宍戸?」
「…あ、あんな…キスまでして行きやがったくせに…俺は丸一日頭から離れなかったっつーのに…テメェは、」
「え、宍戸?」

「俺の、事なんか、無視ってわけかよ!」

握り締めた拳がぶるぶると震える。
「な、何、何ゆうてんの」
忍足はうろたえた。自分と宍戸の会話が全く噛み合っていない事は分かるが、どうしてそうなっているのか分からない。とにかく宍戸を宥めようと肩に手を置いた瞬間

ガゴッ!!

「ぎゃッ!」
宍戸の痛烈なアッパーが、見事に決まった。
「なにすんねん!暴力反対やで!」
顎を押さえて涙目で、尻餅をついた忍足が見上げる。と、宍戸は背を向けていて。忍足を殴った拳は、まだきつく握られたままだ。
「…宍戸?」
「うるせー…さっさと戻れよ」
「何やの、どないしたん。一緒に戻らなエライで」
「ほっとけばいいだろ。俺、なんか、無視してれば」
「……何ゆうてんの、無視なんか………あ」
はた、と忍足は思い当たった。思い当たると、今まで噛み合ってないと思っていた会話が全て、自分のせいだったという事に気付く。

…自分はいつの間に、こんなにアホになってしもたんやろか…

「宍戸、ほんま、堪忍。な」
「…知らねーよ…」
「俺、お前が考えてくれよるなんて、これっぽっちも思てへんかったから…」
「…てめぇは俺を何だと思ってんだ」
「ほんまに、ごめんな」
そうっと、宍戸の肩に手を置く。まず右手。相手が動かないのを確認して、左手も肩に。
少し力を篭めると、宍戸が拳を握り締めたのが分かった。
万一また殴られないために、手をずらして宍戸の上腕を自分のそれで拘束する。背中から、自分の右手で相手の左腕を。左手で右腕を握り締めた。額をそっと、肩に触れさせる。
「答え、聞かせてくれるやろ?」
「聞きてーのかよ」
「当たり前や…好きやで・宍戸」
「俺は…」
「うん」
直接皮膚に響いてくる、忍足の深い声。ゆっくりと、宍戸の拳を解していく。

「俺は、わからねぇ…」

一晩考えて、今朝から今までも考え続けて、出した結論だった。
男に告られて、キスまでされて。逃げるか殴るかするはずのところを一緒に帰ってしまった。
それがわからない。

お前キモイんだよ!と冗談に出来ないほど、本当に真剣だった忍足。だから、自分もちゃんと考えなければならないと思ってしまった。
それが、わからない。

いつも通りの忍足を見て、なんだやっぱり性質の悪い冗談だったと、笑えなかった。
…それが、わからない。

こんなに悩んで、忍足の行動にいちいちイラついている自分の心が、
わからないから。

そう言ったのに。
「……………ぷっ」
「なっ、何笑ってんだよ!?」
「ぷぷっ…そやかてっ…もーほんま宍戸やなぁ〜」
「あァ!?」
人の背中で笑い転げる忍足に、ムッとした宍戸は思い切り足を踏みつけた。
「痛った〜!暴力反対てゆうたやろ!なんでこないにすぐ足とか出んねん!」
「おめーが笑うからだろ!」
「や、も〜思い出させんといて!っくくくっ…」
腹を抱えて更に笑う。ここまで引っ張っといてそれかいな〜!と一頻り笑いまくると、ふらふらしながら宍戸の手を掴んだ。
「な、一緒に戻ろ。ええ事教えたるさかい」
「?何だよ?」
忍足に引かれるまま、手を払うことも忘れた。
柔らかな声に視線を上げると、声と同じぐらい柔らかな笑顔とぶつかる。
さっきの苦笑顔に良く似ていて、雰囲気はまるで違う。
誰をも安心させるような、それでいて掴み所のない笑顔に、つい宍戸は手を掴まれている事に安堵した。
「なぁ宍戸、お前俺が部活中何も言わんかったら、どないする気やったん?」
「部活終ってからとりあえず殴っとく気だったぜ」
「…怖いやっちゃなぁ〜;何でそない考えになるんかいな」
「だってそーだろ!人に告るだけ告っといて自分はへーぜんとしてんのなんか見て、腹立つに決まってんだろ!?」
「…それでも黙っとけばええとは思わへんかったんやな」
「当然だ!俺は白黒はっきりしてねぇのは嫌いなんだよ」
「さっき、わからんて自分はっきりせぇへんかったくせに」
「…そ、それは」

「…自分の気持ちが分からんかったんなら、黙っとけば無い事になったかも知れへんのやで」
「え、あっ」
「…今気付いた?」
「………」
コートへ向かう足を止めて、忍足はもう一度来るかもしれない衝撃を待った。身体にではなく、心に来る方を覚悟して。まっすぐ、宍戸の目を見詰める。その視線を、宍戸はきつく睨み返す。視線を外させないように忍足の胸倉を掴んで

「それでも、そんなのは俺のキャラじゃねぇ。黙っといて有耶無耶にするなんて激ダサだぜ」

「…は、」
「オラ行くぞ忍足!跡部の罰、てめぇも一緒に受けんだからな!!」
「っわ!!」
胸倉を掴まれたまま走り出されて、忍足は危うく引き倒されるところをなんとか堪える。
「あっぶな…宍戸!…!」
なんとか隣に並んで見ると、赤く染まった宍戸の耳。
「…なんや、ほんまにちゃんと、はっきりしとるんやん」
こっそり呟いた言葉と笑みは、どうやら悟られずに済んだらしい。


END